蕎麦好きの独り言(2014.03.18up)

その五、「悲憤慷慨」


最近強く感じるのが何ともいえない世の中の閉塞感である。
どんなにじたばたしてもどうにもならないような息苦しい感じ…
それらからくる不安もしくは欺瞞が世の中に充満していて、それらのストレスが蓄積し、いつ爆発するか分からないような不安を常に感じている。

仕事柄年度末は多忙であるが、それに輪を掛けて天候が不安定なので精神的にもイライラしている。(天候は言い訳か?)何に原因があるのかおぼろげに分かってはいるのだが、直接的に解決できる問題でないことが歯がゆい感じなのだ。そう言うことが積み重なると突発的に阿蘇山のように爆発する。
よく考えてみればそんな思いを抱いているのは自分だけじゃないことは明白なのだが、さりとて我慢できるかと聞かれれば否である。

善と悪、正解と不正解、やって良いことと悪いこと等々、世の中の問題は二進法で解決できそうな気がする。しかしそれが間違いであることは少し考えてみると誰にでも理解できるが、多くの人たちは目先の善と悪により闇雲に行動する場合がほとんどで、将棋のように何手も先を読んでからの行動はなかなか出来るものではない。それが出来る優れた人間も確かにいるんだろうが、凡人である私などは結局どこかで妥協してしまうのが現実だ。
ここで政治的な話をする気など毛頭ないが、最近の世の中の動きを見ていると「声だけが矢鱈でかい奴ら」の何と胡散臭いことよ…

やれやれ



久しぶり(2週間?)に蕎麦打ちをした。
家族の中には、蕎麦を頻繁に、かつ半強制的に食べさせられることに抵抗を覚えている人もいるかも知れないが、前述の通り世の中は個人の思い通りにいかないことを理解すべきだと思うので、気の毒ではあるが我慢してもらうしかない。(笑)
原料(素材)というのは料理にとってとても大事な要素であり、極論であるが「素材の優劣が結果となる」と言ったのは数少ない我が友の一人、まあそれをカバーするのが調理技術なのだが、蕎麦打ちも似たようなもので、そば粉の特性がある程度影響すると思う。

嗜好の問題なので銘柄の特定など私ごときが論ずるものではないが、今まで数種類のそば粉を使ってみた感想は、確かに優劣があり一部に偏重する傾向にあることは事実だ。(何を偉そうに(笑))
「でわかおり」と言うとても美味しいそば粉が有る。これは「最上早生」と言う在来品種を改良したものだそうで、平成8年に山形県優良品種に登録された県のオリジナル品種だ。しかし私が仕入れるそば粉には品種の表示がないものも多い。いわゆる産直で買ってくる場合が圧倒的に多いが、ネットでは全国の製粉所から直接手に入れることも出来るようだがまだやっていない。

この日は午後から自治会の総会があり直会をパスして蕎麦打ちをしたのだが、食べ比べの蕎麦を打つ時間がなくて以前食べたお気に入りの粉1種類を使った。配合は「山勘」の外五分でやってみたが、初めてのことなので不安も大きく、顔が引き攣っていたよと後でいじられた。
蕎麦の香りも楽しみの一つで粉特有のものがある。品種が同じでも商品によって違うので開封するまでわからない。しかし筆者の嗅覚は長年の花粉症と睡眠時の慢性的騒音(いびきだよ)により非常に鈍感である。これは蕎麦好きにとって致命的な欠陥であるが、専門医を受診しても改善しないのだ。しかし水分を含まない蕎麦粉の香りは、あまりしないのが現実のようであるが、最初の水回しをすると驚くほど芳醇な香りが部屋中に広がるので鈍感な鼻でも結構楽しめるのだ。

この日の蕎麦粉も実に良い香りだ。
最初の水回しで嗅ぐことの出来る香りは蕎麦打ちをやる者にしか味わえないもの、これが実に良い。そして打ち進めるに従って変わっていく触感も奥深い。
正直なところ本当に繋がってくれるのかと言う不安も大きいが、不安から確信に変わっていくワクワクした心理状態も実に楽しいのだ。上手く言えないが上質の推理小説を読み進むような感覚だ。そして美味くなれと念じながらまとめ固める。硬さはどうだろう?、喉ごし良い蕎麦になってくれよと無心に念じる。触っているとトラのぬか床(笑)のような安心感があり不思議と癒される。

のし板に打ち粉を振り徐々に力を加える。円から矩形へ形を整え、均一な厚さの生地へと姿を変えていく様は、蚕が生み出す細い糸が上質な絹へと昇華するようで実に神秘的だ。そして慎重に千切れないように畳む。リズミカルに軽快に、そして大胆に包丁を振るうと厚いまな板の上で蝶が羽化するように華麗に生まれ変わる。打ち粉を払い生船の中にそっと置く。最後の仕上げを待つ間にも進化する愛しき蕎麦よ(笑)、汝はこれから熱湯の中で成熟し上界へ旅立つのだ。




からからと乾いた音を放つ鍋には沸騰したお湯がいっぱいだ。そこに優しくふわりと蕎麦を投入する。一旦沈むと暫くして浮き上がってくる。菜箸で一掻きするとアサガオの蔓が伸びる様を早送りで見るような動きが悩ましい。湯の中で蕎麦が踊るとは先人は上手いことを言ったものだと思う。
手早くすいのうで掬い、すぐさま冷水に浸して荒熱を取り、悲鳴を上げるほど冷たい流水で手早く洗い笊に盛る。試しに一つまみ啜り込むと芳醇な香りと甘みのある独特の味が相まって目尻が下がる。

「こ、これなんだよなぁ〜」と一人納得する。


  

本日のつまみは何にしようかと朝から悩むがミスマッチを覚悟で勝手に選んだ。
家人はどうしても旬のものが食べたかったらしく、ばんけ(フキノトウ)のつぼみを準備していた。
手早く天ぷらにする。

食べる前にこっそり写真に…












てな感じで我がストレスはどこかへ飛んでいく。


次回は外七分半で打ち、何をつまもうか…


ふう〜…妄想は果てることがない。


やれやれ